お引越し

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先日引っ越しをしました。

 

14:30に約束していた業者さんは16:00にやってきました(p_-)謝ることも悪びれる様子もなく、最初に言われたのは「喉かわいたー、水ちょうだい!」(-_-)

 

荷物を詰めるところから全てやってくれたのですが、ダンボールにぎゅうぎゅうと蓋からはみ出すところまでつめて、蓋を閉じずにそれをガムテープでぐるぐるに貼り付けるという手法で、、、(u_u)

 

いえ、もう驚きませんが、、、お気に入りの籠もぎゅうぎゅうに潰されて、クッションにもガムテープを貼り付けられて、、、後からタインに「かな、すっごく嫌そうな顔してた」と言われました(-_-)

 

昨年の4月15日にハノイにやってきました。ベトナムに来て1年と3ヶ月で、2回目のお引越しです(´-`)

 

当初わたしは技能実習生の送り出し機関の日本語学習センターで日本語教師をしていました。

 

移住してくる前に一度見学に来て、会社のセンターをいくつか見学させてもらいました。「どこがいいですかー?」と聞かれて、「あ、どこでもいいですよ」と軽い気持ちで言ったことで超絶田舎のセンターに配属になりました。部屋も築20年のかなり古いところで(ハノイの築20年は日本の築100年?ってくらいボロボロです)。

 

まずは衛生面と虫がいちばんつらかったです、、、家の前でネズミが死んでたことも、、、職場でもしょっちゅう事務所のすみっこを走っていました(°_°)

 

もちろん日本食なんてなくて、、、スーパーにも日本の商品なんて置いていません。お醤油もみりんもありません。毎日フォーとブンとバインミーを食べ続けて、3ヶ月後には「日本食が食べたい」と言って泣きました。なんなら韓国料理でも中華料理でも、ハンバーガーでもパスタでもいい、、、とにかく違うものが食べたかったです。

 

そこは外国人なんていなくて、バスに乗ってると噂になるくらいでした。

 

それでも今思い返すと、この頃がいちばん楽しかったので不思議です(^-^)大変だったけど、みんな優しくて、本当にすごく楽しかった!

 

ところが田舎のセンターの閉鎖が決まり、テト前の1月中旬に少し都会に近いセンターに異動になりました。市街地からは遠いものも、高層レジデンスのアパートにはスーパーや、ジム、ヨガスタジオ、映画館、美容院、ネイルサロン、なんでも併設してあって便利でした(でも一階にレストランも入っていたせいか、ここのほうがネズミが多かったです、、、部屋の中でも3回遭遇しました)。スーパーにはお醤油やインスタントだけどうどん、日本や韓国のお菓子もおいていて、わたしにとってはそれが夢のようでした(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

でもその後すぐにコロナウイルスの流行がおこり、実習生が日本へ行けない為、会社は大赤字を抱えることになりました。政府のお達しが出てセンターが一時閉鎖になった後は、オンライン授業でお給料50%カットという厳しい減給や無給労働が続き、その間にもどんどんセンターが閉鎖していき、ついにわたしのセンターも3月末に閉鎖、退職となりました。

 

その後すぐに就活して4月に日系企業から内定をもらったものの、出入国できない為に新しい職場で働く為のVISAの切り替えがずっとできませんでした。先月、やっと配偶者VISAを取得しました。今はwork permitの取得の手続きをしています。こちらも普通なら日本から6日程度で書類の取り寄せができるはずなのですが、コロナの影響で荷物の宅配は遅れており、いつ届くかわからないそうです。未だに働けない状態が続いています(p_q)

 

そんな感じでニート状態で過ごしている間に半年間の部屋の契約期間が切れたので、わたしの新しい職場近くに引越してきました(タインはバイクに乗れるので、家の場所はいつもわたし優先)。社会的隔離措置で外に出られなかったり、仕事がなくて不安な気持ちでずっと過ごしたので、正直なところひとつ前の場所やお家には、あまり思い入れもありません。新しいお家に引っ越してきて、今とても気分がいいです。

 

スタジオで前よりずっと狭くなりましたが、夫婦2人ならこの大きさで充分。ハノイに来て初めての新築です。日本人の駐在の方たちが住んでいるような高級なサービスアパートではなくて、ベトナム人ばかりの思いっきりローカルなミニアパートですが、綺麗だし、家具もわたし好みで大家さんが揃えてくれました٩(๑❛ᴗ❛๑)۶周りは市場やお店がたくさんあって楽しいです!日本人街も近くなり、8ヶ月ぶりに日本食レストランへも行きました(๑˃̵ᴗ˂̵)お寿司をたらふく食べました(๑˃̵ᴗ˂̵)

 

気分上々おかなです٩(๑❛ᴗ❛๑)۶↑↑